山形県の日本海側に広がる「庄内平野」は、四季の区別がはっきりしています。
その庄内平野でも、月山のふもとに広がる中山間地域「羽黒地区」に、岡部農園があります。
月山からの恵みの水、昼夜の寒暖差が大きい気候が、おいしい庄内米を育てます。
できあがったお米はまさに「月山からのおくりもの」です。
自然の恵みがたっぷりつまった「庄内米」を一度味わっていただきたい。
令和2年度の 新米 は、10月中旬頃を予定しております。
おいしい庄内米の育つ環境
季節ごとの特徴が、おいしいお米を育みます
日本海気候による寒く厳しい地吹雪の「冬」
積雪を一気に溶かす乾燥した温暖な「春」
作物の作付後の生育を旺盛にしてくれる「梅雨」
作物の同化作用を促す 燦燦と太陽輝く「夏」
作物の登熟に欠かせない「秋晴れ」
水と風は、月山からのおくりものです
1994mある月山は冬に大雪を抱き稲作に貴重な水を提供してくれています。特にお米の品質を決める 真夏の出穂時期には、恵みの水となります。
また庄内平野の大きな衝立として太平洋からくる夏の冷風(やませ)を遮断してくれます。
厳しい自然環境と月山の恵みが庄内米のおいしさを育んでくれます。
収穫した庄内米は、まさに「月山からのおくりもの」です。
岡部農園の 庄内米
「つや姫」(特別栽培米)
今や いかにおいしいお米を提供できるかが至上命題です。
これまでは「しっとりと粘りのあるコシヒカリ」と「サラサラとして総菜との調和が絶妙のササニシキ」の2大品種が市場をリードしてきましたが、それぞれの長所を遺伝的に持っている「つや姫」が、平成21年に山形県からデビューしました。
県は「つや姫」を高級品種と位置づけ、高い品質を維持するために「特別栽培米」として、今までの慣行栽培に比べ 化学肥料・農薬の50%削減、食味を数値化して一定の数値内に制限、認定農家に制限することで「つや姫」の流通を管理してきた結果、市場では 魚沼産コシヒカリ に次ぐお米として定着しました。
岡部農園ではデビュー以来栽培してきましたが、これ以上に「美しいお米」はないでしょう。
「つや姫」の名前の通り、乳白米がなく全粒透明で光っています。
これは最近の温暖化に伴う高温障害を受けにくいという証明にもなります。
もちろんデビュー以来 食味検定で 特A の評価をいただいております。
「はえぬき」
昭和40年の後半頃からお米の消費環境が変わり、早場米制度がなくなり食糧から商品としての質の時代になり転作制度が導入されました。その間、栽培が難しく品質、収穫の不安定な「ササニシキ」にシフトして地元の新品種が育成されまで凌いできました。
ササニシキの後継品種を目指し、山形農業試験場庄内支場で「秋田31号(あきたこまち)」と「庄内29号」を掛け合わせ、1990年「山形45号」として誕生したのが「はえぬき」です。私は長年色んな品種を栽培してきましたが「はえぬき」に出会ってこれまでの苦労が一気に解消されました。品質、収穫量、耐病の安定性からみて理想的な品種であると確信しました。お米の外皮がしっかりしているので寿司の酢〆にも強く又チャーハンに使用し形状が壊れにくいと言われるほど汎用性も優れています。日本穀物検定協会が認定する食味ランキングにおいて12年連続特Aの評価をいただいております。
特別栽培米
農林水産省にて定められた「特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」に基づき、その農産物が生産された地域の慣行レベルに比べ、節減対象農薬の使用回数が50%以下、化学肥料の窒素成分量が50%以下で栽培されたお米のこと。
庄内米ものがたり
江戸時代、お米は現在のお金に相当する経済の需要な役割を担っていました。各藩の領地、侍の給金、農家の租税など、お米の収穫量に依存していました。
大阪に米市場があり現在の 株や証券のように相場が形成されていました。庄内米は酒田の港から 北前舟で、日本海を渡って大阪に運ばれました。「庄内米」と記された「黒票箋」(くろひょうせん、名札のようなもの)は高品質の証、ブランド米として市場で高値で取引されていました。
日本一の豪商「本間家」が庄内一円のお米を巨大な倉庫「山居倉庫」で管理し、技術指導(乾田馬耕などの普及)や 米券の発行(前渡し金)など、農家の生活向上に貢献しました。
本間家は「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌まで詠まれるほどの大地主で、かつては北前舟の寄港地として、港町 酒田 の繁栄に名を馳せました。