岡部農園人気のつや姫。つや姫誕生物語をご紹介します!

こんにちわ。つや姫の誕生ルーツを辿ると非常に面白い物語があることがわかりましたので、ご紹介致します!

すべての始まりは山形県余目町の貧しい若者阿部亀治が作った「亀の尾」という幻の米から始まる!

(亀治の似顔絵が似ていいなくてすみません・・・。実際はもっとイケメンです。)

物語の始まりは明治26年。この年東北の農作物は冷害の大ダメージを受けました。
その年の秋、山形県余目町の貧しい若者、阿部亀治は6歳から寺子屋に通わされており、その日は雇い主からお使いを頼まれ外を歩いていました。
その帰り道に、とある神社にお参りに寄って帰ろうした時、ふと田んぼを見渡すと冷害の被害にも負けずに稲が3本だけ立っていました。
それを見つけた亀治は、畑の持ち主に断りその3本の稲を頂いて帰りました。

その持ち帰った3本の稲を、亀治は2年も一人で研究しました。
最初は中々思うような稲には育ってくれず、収穫の量も少量でしたが、
研究を重ね、明治28年には作付けを開始しました。(作付け:田や畑に農作物を植え付けて栽培すること)
そして優しい亀治は冷害で苦しんでる他の農家にも分けてあげ、みんなで作付けを行いました。亀治はみんなから感謝され、その稲は「神の稲」と呼ばれましたが、亀治が自分はそんな大それた人間でないと「亀の尾」と名づけました。
亀の尾は、風害、害虫にも強く、収穫量は安定していましたが
その後も亀治は毎年研究を重ね、さらにいい稲をつくる努力を重ねていきました。

そして明治38年、東北に毎日のように雨が続き、またしても大凶作の年になりました。
それを機に、他県からも「亀の尾」に大量の注文が入り、亀治は無料で譲りました。
このような忖度考えず困った人には手を差し伸べる亀治の行い、研究の成果も実り
「亀の尾」はアジアでも栽培されるようになりました。
その後も亀治は日々研究を重ねていき、それは日本中より評価され、その一つには皇太子殿下にもお会いする栄誉を受けるなどと、数えきれない程の表彰を受けました。

そして、昭和3年に61歳でその生涯に幕を閉じました。

その「亀の尾」は現代も品種改良の交配親として活用されています。それはコシヒカリ、はえぬき、そしてつや姫にも引き継がれていきます。

そして、いよいよつや姫誕生秘話!

ally jによるPixabayからの画像

当時、全国的にコシヒカリが大人気でした。山形のブランド米はえぬきもありましがたが、それよりももっと美味しいお米の開発を求められていました。
そして山形の研究所で研究、テストを重ねに重ね10年の月日をかけ、亀の尾もしっかり引き継ぎ、やっとつや姫が誕生しました

つや姫、名前の由来

全国より公募し、最終的に7点に絞った中につや姫の名前がありました。
そして、その中より県民投票の結果、つや姫にきまりました。

炊きあがったときのそのお米の艶、そして10年も大事に育ててきたという研究者達の思いを姫という文字に込めこんで、つや姫と名づけられました。

そして、山形県のつや姫の栽培には厳しい4つの基準があります!

・気象、地理環境条件等を満たした地域のみ栽培可能。
・県知事より認定を受けた生産者のみが栽培可能。
・安全・安心な栽培体系な栽培基準を有機栽培米や特別栽培米に限定
・厳しい出荷基準に適合したものだけ出荷できる。

となっており、この基準を満たさないとつや姫を栽培、出荷できません!

いかがでしたでしょうか?私の感想ですが、亀治のいいものを作ろうという熱い想いと、困っている人には無償で稲をあげるという優しさに心を打たれました。「亀の尾」がなかったらつや姫も生まれていなかったかもしれませんね。私自身とても勉強になりました。

読んで頂きありがとうございました。